プリザーブドフラワーの行方。
階段を見上げ、母が言う。
「わー、花がとっても綺麗ね」
数日後、リビングで母が言う。
「あのお花、あの場所に置いておくと、気の巡りがとってもよくない。
風水的に階段上がって一番最初に見える場所に、
プリザーブドフラワーがあるのはよくない。生花ならいいけど」
数日前の「わ〜!綺麗!」の感情は一体なんだったんだ?
私は、階段を上がるたびに
何も置かれていない真っ白な壁を見るよりも
カラフルなあの花たちを見ながら上がる方が気分がいい。
そんな純粋な気持ちではいけないのだろうか。
おそらく出始め(15年前くらい?)は、ドライフラワーと同じように扱われていたと思う。
プリザーブドフラワーは、元気な時にお花の色素を抜き、特殊な染料を自分自身の力で吸わせることで”永遠に咲く花”を現実のものとする花だ。
気になったので調べてみた。
風水におけるプリザーブドフラワーの位置付け。
位置付けは揺れているようだ。
いい揺れに関しては
プリザーブドは置き場所や心のウキウキ度によって良い流れを生み出すことができる
という人もいること。
ドライフラワー(死んだ花)<プリザーブドフラワー(時が止まった花)<生花(生きている花)
時が止まった花、という表現はいかがなものかと思うが
心のウキウキ度を取って、もう少しはあの場所に置いておこうと思う。