男と女って。
つい最近の朝刊に、
履歴書から性別欄を廃止に。
との文字。
記事を読み進めていくと、
その方は、戸籍上は女性。
でも自分は男でも女でもない、と感じている。
でも、面接にネクタイ、スーツでいくと落とされた。
何社も何社も落とされた。
LGBTの理解を求める記事としては、あまり効果がなかったのでは?
メッセージが受け取れなかった。
私たちが今後何を考えればよいのか、受け取れなかった。
一番知りたい部分が。
とても個人的な意見として、例えばこの人が面接を受けている風景を思い浮かべた時に
柔軟性というものが浮かびにくかった。
私は少数の弱者です。理解してもらえることが少なく生きていくのが苦しいときがあります。
(自然と)そんな主張だけが強く印象に残った。
LGBTの人って、多分思っている以上にいると思っていて
その人たちは、異性を好きになったり、戸籍通りの気持ちを持って生きている人にとって
想像すらしがたい思いをもっていると思う。
わかったふりや寄り添ったふりなどできないくらい。
だからこそ、人として付き合えばいいじゃない、と思ってしまうのは浅はか?
そこら中であっている面接シーンに戻るとして、
採用担当者は、会社への思いとは別に、私はこういうこういう人間です。配慮してね。とだけ言い残されたらどうだろう?
どんなに有能でも、即戦力でも落とされる可能性さえあるよね。
こういうことが予想されます。そんな場合はこうして欲しいです。は、ありかな?ありというか、選択の余地がありそうだ。
柔軟性。
本当に何が起きてもおかしくない世の中。
柔軟性はますます必要になっていくし、そのなかで互いに歩み寄ること。非常に必要。
昔の職場、少ない職場だったけど、1/3が同性愛者だった。
その後働いた別のところでも、一人いた。
けれど、だから何?っていう感じで、そんなこと考えて接したことなんてなかった。
特に大好きだった同僚もいて、もしかしてそうなのかな〜?と感じて少し経って、話の中で決定打の言葉が出た時は、やっぱそっかー!と思っただけで、一緒にいればいるほど、なんて素敵な人なんだ!とますます大好きになった。
本当のところをいうと、同性(女性の外見で女性が好き)に関しては、どんな気持ちなんだろうって思う時が数回あったこともある。
いつもは可愛くてお茶目な同僚。
ふとしたときに、その子のことというより、心の中はどうなっているんだろう?って思って、話してたらすぐ忘れてるパターンが常なんだけど。
すごく言葉にするのが難しいけれど、お母さんが娘を同性と思って接するみたいなそんな感じかな?難しい、ことば選び。
今の日本は、関心も理解も世界からだいぶん遅れをとっているけれど
年配の人だって理解のある人はいるし、若くても理解しない人だっている。
一個人として魅力的な人であれば、その人と一緒にいたいと思う。
ただそれだけ。
私の情報量や経験では、きれいごとだよ、でもね。。って言われそうだけれど。
そういえば、前に見たドキュメンタリー。
性転換をした男性(戸籍上は女性だった)と女性が、二人の共通の友人に協力してもらって子供を授かるという番組を思い出した。
結婚はできないから、同棲していて、子供の本当の父親は友人だから。。次々に起こる問題に3人で向き合いながら、さらには将来3人の誰かが亡くなった時の話まで真剣にしている姿。
あの子はもう2歳くらいかな。