コミュ症の一面。
毎週見ている
誰も傷つけない、いいキャラたち
ほんわかなストーリー、キャスト
視聴を続けている理由の一つです。
韓ドラの「恋のスケッチ〜応答せよ1998」
大っっっっ好きなドラマです。
何度も見返しては、ニヤけたり、笑ったり、泣いたり、大号泣したり・・
このドラマも、誰も傷つけない、みんないいキャラ。
ドラマ・古見さん、、、ん〜こんな風にコミュニケーションをとっている人は見たことはないから、実際、こういう人が隣の席にいたら・・私はどうするだろうか?
ギャルの万場木さんとお友達になる回だったかな〜
”本当は一人でお弁当なんか食べたくない”
セリフはうろ覚えだけど、
学生時代を振り返って、今思うことは
こういう人は強い。
私は新しい環境に入った時に、割とすぐに馴染むことができる。
というか、その場がシーンとしてたり、みんなの緊張が伝われば伝わる程
無意識に、陽気キャラというか、和ませようと何かしら考えてやってる。
一部の人は、よかった〜和んで!って思う。
一部の人は、静かにしててくれないかな、、
一部の人は、あそこは盛り上がってていいな・・
一部の人は、何も思わない。
でも冷静に考えると、単に自分がその緊張感に耐えられなくてやっている部分もあるんだよね、これ。
これも私ではあるんだけど、長続きする素の私ではないから、
自分が蒔いた種なのに、途中でギブアップしたくなって,fade out、自ら孤独を感じるゾーンに入る。
これと並行に、他の人たちは自分の居場所を見つけ始める。
急がなくていいんだよね。
すぐに打ち解けられない人は、「自分を保つ」長所がある。
私はそう思います。
自分が保てていると、その姿に興味を持ってくれる人や引き合わせられた瞬間を感じとる感覚を余計に感じるのではないかと思って。
いつも一人でいるクラスメイト。
体育やグループ作業の時に、いつも一人になっちゃう子。
声かけてたな。(後でずーっと言わなかったことを考えちゃうから)
一緒にやろう、って。
でも、逆側に立つイメージはすごく怖くてそうはなれなかったと思う。
で、また、そういう人って優しかった思い出があるんだよな〜
どこに入っても平常運転。(に見える)
一人にならざる瞬間が、小さい頃にくるか社会人になってから来るか。
どちらでも辛い瞬間はあるんだろう。
後者の私にしてみれば、小さい頃に経験することの方がいいのかな〜なんて思うけど
反対の人はそうは思わないんだろう、きっと。
学校・教室・家庭、限られた数の大人たち
小さな小さな世界で
自分の居場所を探す旅。
勉強もしなくちゃ、ドッジボールだって、何かしらの発表会、たくさんすることがあって、おまけにコミュニケーションスキルの向上まで、、
かなり至難の技。
小さい体を使って、よく頑張っている(た)と思う。
強い自分・弱い自分を知る、自分軸を育てる、自己肯定、他人に合わせる、
生きていて、育てて行きたい面。
”主張する”部分には欠けるのかな?
どこかのグループにいたらとりあえず大丈夫、嫌われないようにしなくっちゃ、いい子でいたい、人気者でいたいetc..ばかりに目がいっていると
こういう個の部分にまで踏み入る時間がなくなっちゃうかもしれない。
私はそういう面があった気がする。
居場所がなきゃ、って変な思い。
もちろん、その時は好きでやっていたことだし、いやな思い出はたくさんあるけど
いい思い出ももちろんある。
最近は過去にいい思い出がちゃんと”あった”と、認識する作業をしています。
なんじゃそりゃ、変なの。だけど、大切な作業です。
戻れるならいつに戻りたい?
特にありません。
今でいいです。
今がいいです。
だけど、もしどうしても戻らなきゃなら、
10歳くらいにもどって、部活には入らず、個人的に興味があったことをしたり、図書館にいってたくさん本を読んだり、当時母に勧めらたボーイスカウトに参加してみたい。
今思うと、
部活を1週間休むなんて、朝飯前じゃないか!行ってこい!と言ってあげたい。
1週間が1ヶ月くらい、いやそれよりも大きな長い期間で、(空想の)仲間との溝を生んでしまうのはないか、と思っていたあの頃。
大人のいうことを時にちゃんと聞いていればよかったじゃないか、あの頃。
1週間経っても変わるのは1日目の体力とキツさだけだよ、あの頃。
どれもあの時の私には選択できなかったこと。
体育系から文化系の自分を見てみたい願望があるようです。
そして、古見さんのような方がどのような心の変化があったか少し覗いてみたい。
生まれ持った性格は環境や出会う人々で大きく変わっていくから。
コミュニケーションが苦手な人。いいところは話さなくても分かるよ、見えてくるよっていう話でした。